教育について思うこと

「教育」と聞くと、あなたはどのようなイメージを思い浮かべますか?

学校や人材育成など、人それぞれに身近な教育の場があると思います。


私自身はというと、1年間休学していた大学に今月末から復学しました。

ちょうど今日から始まった教育原理という授業の中で、面白いお話があったので紹介させて頂きます^^

 

そもそも「教育」って何?


教:知識や文化の伝達
外側から形成(Bildung)

育:本来の能力の引き出し
内なるものの開花(Erziehung)


語義はこのようになりますが、英語で言う「education =教育」ではないそうです。


「education 」・・・もともと備わっている(潜在的な)能力を開発すること。


つまり、「教育」の「育」の要素が大きいと言えます。

 

 

では、なぜ「education 」は「教育」と訳されたのでしょうか。


先生の話によると、明治期、初代文部大臣の森有礼が「education 」の訳語として「教育」を推奨し、定着したのだとか。


それに対して、『学問のすゝめ』で有名な福沢諭吉は「発育(自己開発)」を提案していたそうです。

 

明治22年「文明教育論」より

「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にあり……。」

 

こちらも「education 」と同様に「育」の面を唱えています。


しかし、「education 」の訳語として「教育」が定着したのは、
森有礼が初代文部大臣として「発育(自己開発)」と言うのでは示しがつかない(都合が悪かった)から…。
と、ボソッと先生の言葉が耳に入って衝撃を受けました。(笑)

 

私自身は、ずっと「教」の印象のみを持ち続けて大学生になりました。

学校教育に関しては、今もその要素が大きいように感じています。


また、コーチとして活動している中で「コーチングって指導してくれるんですよね?」「何を教えてくれるんですか?」と聞かれることがあります。

いわゆる「教」の印象をお持ちの方は多くいらっしゃると思います。

一般的に、スポーツのコーチなどはその通りなのかもしれませんが、私自身はそう思っておりません。

 

コーチングは「育」の要素が極めて大きい。

まさに、その人自身が持つ「本来の能力の引き出し」に特化しています。

 

知識や文化の伝達など外側からの形成を担う「教」の面は、新しいことを知る機会となり、自分の視野を広げてくれる価値あるものです。


だから「教」と「育」のどちらが良いとか悪いとかではなくて、大切なのはバランスだと考えています。

 

でも、私自身「教」の印象のみを持ち続けたまま大学生になったように、自分が持つ本来の能力をないがしろに扱ってしまうことや、画一化された優等生像を意識するあまりに周りと比べて「自分はダメな人間だ」などと思い込んでしまうのは悲しいことではないでしょうか。


人はひとりひとり違っている。


そんな自然なことが許容されないような空気感はどこか不気味で、息苦しく感じてしまいます。


もうすこし「育」の部分・・・その人自身が持つ本来の能力の引き出し、内側から湧き出る動機付けに目を向けてもいいのではないかと思うのです。


私がコーチングを提供したい、人の夢を応援したいと思うのは、私自身が「育」にあたる部分に長いこと気付けず、いい子を演じ続けてきて苦しかったからなのかもしれません。


あなたの夢を応援しています。

 


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